・第3章:Keithと出会い https://animalmassage-jaam.com/about/

「動物ファースト、飼い主セカンド、会社サード」。 業界2年目、この考えを貫ける場所は動物病院の中にもないと思い至り、私は独立の道を選びました。
まずは、動物の心身を整えるコンディショニング・マッサージを広めることからスタート。人のために頑張る盲導犬たちに「お疲れ様」の気持ちを込めてマッサージをしたいと考え、盲導犬協会での無料体験イベントを企画しました。
回を重ね、3回目のイベントを終えた後のこと。施設の見学中に、ふとパピーたちの部屋の隅で、黒く小さな塊となって丸まっている仔犬を見つけました。 「生後1週間ですが未熟児で、口蓋裂があるんです」。担当者のその言葉が、その後の私を導くことになります。
口蓋(こうがい)とは、口の中(口腔)と鼻の穴(鼻腔)を仕切る壁のことですが、この部分が繋がったまま裂けている状態を「口蓋裂」と呼びます。この仔犬の場合は先天的なもので、遺伝の可能性が高いとのことでした。自力で母犬のミルクを吸うことができないため、担当スタッフの方が2時間おきにゴムチューブを口から胃の手前まで入れ、慎重にミルクを流し込んでいました。
この時、一緒に生まれた5頭のうち、無事だったのは1頭目だけで、2、3、4頭目はすでに亡くなってしまったといいます。5頭目であるこのコも、ミルクをうまく消化できていないようで、体力を失い、かなり弱り切っていました。
気づけば私は、「このコを、私が育てさせていただけないでしょうか?」と口にしていました。
担当スタッフの方は驚いた様子で、「生き延びる確率は非常に低いですよ。それでもいいのですか?」と問い返されました。
「はい。私にできる限りのことをして、全力で育てたいです」
ただ、私自身も2日後に胆嚢(たんのう)の摘出手術を控えていました。
「手術当日まで、なんとか頑張ってミルクを繋いでいただけますか? 必要な物や薬、フードはすぐに送ります。術後1週間で退院し、家を整えて必ずこのコを迎えに来ます」
そう言い残して、私は施設を後にしました。
家への帰り道、懸命に生きようとするあのコへ、何かプレゼントを贈りたいと考えました。私は車の中から施設に電話を入れ、「仔犬の名前を決めました。『Keith(キース)』。今日からそう呼んであげてください」と伝えました。
電話越しに担当者の方は、「喜んで、今日からキースと呼ばせていただきます」と答えてくれました。
その二日後、私は予定通り手術を受けました。一刻も早くキースを迎えに行くため、翌日には動けるよう術後の回復に努め、周囲からは無茶だと言われながらも、ほぼ無理やり退院しました。
すぐに施設へ連絡を入れると、翌日、スタッフの方がキースを自宅まで連れてきてくれました。
「名前が決まってから、キースと呼び始めてから、あの子は目に見えて元気になったんです。よく動くようになり、消化の状態も良くなりました」
スタッフの方からそう聞いたとき、名前という最初のプレゼントが彼に届いたのだと確信しました。
生後まもなく1ヶ月、体重はようやく1キロ。体は小さいものの、よく動き、他の仔犬と同じように元気に「ワンワン」と鳴きます。
初めての場所で怖がるかと思いましたが、キースは自分の家だと分かっているかのようにリビングを走り回りました。ただ、やはり体力が続かないのか、すぐに疲れてその場に伏せ、休みます。
最初の夜、用意してあげたケージに入れると、寂しそうにずっと鳴き続けていました。仕方なく私のベッドへ上げて添い寝をしてあげると、安心したのか、鳴き疲れたのか、すぐに深い眠りに落ちました。それでも、私が少し動くだけで敏感に目を覚まします。この日から、キースのストーキングが始まりました。
毎回の食事は、キースにとってまさに命がけの時間でした。口蓋裂があると、食事中に誤嚥(ごえん)性肺炎を引き起こし、それが命取りになることを私は知っていました。一口ずつ時間をかけ、形状を工夫し、細かくつぶしながら試行錯誤を繰り返す日々。キースにとっての最初の一ヶ月は、まるでエベレストに登るような険しく過酷な道のりでした。いつ急変してもおかしくないその状態を前に、「せめて毎月、誕生日をお祝いしてあげよう」と心に決めました。
生後2ヶ月を過ぎる頃には、多くの知り合いの獣医師から「早く口蓋裂の手術をすべきだ」と助言を受けました。けれど、私にはどうしても手術に踏み切る勇気が出ませんでした。当時のキースはまともな食事すら満足に摂れておらず、到底、麻酔のリスクに耐えられる体力があるとは思えなかったのです。もし緊急事態になればどのような状態に陥るか、信頼できる獣医師から事前に詳しく聞いていたことも、私の不安を強くしていました。
そしてキースが生まれて半年が経った頃、私が最も恐れていた「その瞬間」がついにやってきました。
食後のくしゃみが止まらなくなり、これまでにないほど苦しそうな表情を見せたのです。すぐに病院へ駆け込み、緊急手術を行っていただきました。
手術は無事に成功し、医師からは「2週間の入院が必要」と告げられました。しかし、私はキースを一人にするわけにはいかないと思い、仕事を2週間すべて休み、入院生活をわずか2日で切り上げさせて自宅へ連れ帰りました。
自宅での看病が始まり、術後1ヶ月が経過した頃、私はキースのためにオーダーメイドの機能メンテナンス・プログラムを組みました。獣医師からは「誤嚥性肺炎の影響で肺が弱くなっている可能性がある」と告げられていたため、メニューの中心に据えたのはプールでの水泳でした。水に怯えるキースを抱きかかえ、私も一緒にプールに入りました。「頑張らなくていいよ。ママがいるから大丈夫」。そう語りかけながら、少しずつ水に慣らしていきました。私の腕の中で、最初は小さく「パタパタ」と手足を動かしていたキースでしたが、しばらくすると水への恐怖が消えたようでした。今度は大きなしぶきを上げ、力強く「バシャバシャ」と自力で泳ぎ始めたのです。
回復は目覚ましく、キースが1歳を迎えたときには、盛大に誕生日をお祝いしました。月日は流れ、キースが1歳半になった頃、重度のアレルギーがあることが判明しました。合う市販フードが見つからず、試行錯誤の末に専用の手作りごはんを与えてみたところ、下痢も止まり、体を痒がる様子もなくなりました。これを機に、厳密な食事管理と手作りごはんの毎日が始まったのです。しかし、特別なケアを要するキースとの生活は、多額の費用を必要としました。彼からは目が離せませんし、出張や移動の多い現在の働き方では、将来への不安が募ります。「もっと安定した収入と、彼を守り抜ける環境が必要だ。今のままでは絶対にダメだ」。そう痛感しました。
実はキースと出会った頃、京都にある動物病院から仕事の誘いを受けていました。ただ当時の私は、 「動物ファースト、飼い主セカンド、会社サード」という自身の信念を受け入れてくれる病院など存在しないと思い込み、前向きになれずにいたのです。けれど、キースの口蓋裂の管理を根気強く指導してくれたのは、その病院の院長先生でした。キースが障害を乗り越えられたのは先生のおかげであり、感謝してもしきれません。「この方なら、私の信念を話しても受け止めてくれるかもしれない」。そう信じて、一度しっかりとお話ししてみようと決心しました。
